何処で見聞きしたセリフだか忘れたので出典を明記できないが、私の言ではない。有史以来の人間を考えれば当然の帰結で、もう少し考えて幽霊がいたとしたらもう隙間なく浮遊していることになるんだろうと思ったりする。宗教好きとは言わないまでも、そういう話が好きな身内がよくわたくしに、人間は死んだら何処へ行くのかとか生まれ変わるとどうなるのかとかに機会あれば話を持っていったものだ。わたくしははっきり言ってそのような話題は好まないので、屁理屈合理説取り混ぜて反論していた。例えば魂が生まれ変わるとしたら、魂の総数はそもそも決まっていることになる、それなら何故現在世界人口は増えつづけているのか?死んだ以後の記憶はなくなるはずなのに、どうしてそのような情報が今ここにあるのか、などなど。ともあれ、人の死はそれこそ星の数ほどあって、そのすべてを記憶して留めておくことは難しいと言えよう。だが覚えておきたい人の死もある。力石の三十三回忌が偲ばれるご時世、人間の没後〜周忌がおこなわれるのも道理だ。
 新聞の社説をみたら、11日は萩原朔太郎氏の命日らしい。竹の詩くらいしかすぐに思いつけない程度のファンだが、命日だといわれればそうかと思う。わたくし自身に関わりのない人の死も、世の中が覚えていたいという人物のそれは残っていくのだなと実感したりする。個人的には命日よりも誕生日や祝いの記念日などを覚えていたい、それがその人の死後であっても。しかし直接の関わりはないとはいえ、あこがれ尊敬を感じた人物によっては覚えていたい命日もある。自身にかかわる人の命日はまだ持っていない。あと10年したら、持たざるを得なくなるかもしれない。
 でもきっとまだ大丈夫だろう。

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