邦楽教育の義務化を考える
2002年8月2日 邦楽が音楽授業に取り入れられることをにらんで、筝普及のためのワークショップという主に音楽の先生を対象とした会に参加した。生田流という流派を中心とした研筝会が主催する。競輪、オートレースの売上金による(財)公益資金記念財団の助成金のより実施された伝統音楽の普及助成事業。ほぅ、こういうところに使用されていたのか・・・。それはさておき、軽く歴史的変遷の講座を受けて、実習としてちょっと弾いて、家元の娘さんによるすんばらしい演奏を聞く。同じ曲でも弾き手の技量でこうも違うものかとびっくりした。当然といえば当然、かたや大学にはいってからの一過性趣味、かたや生まれたときからの英才教育。音楽の難しさのいったんはそんなところにもあるのだろうか。
さて簡単ながらうけた講座のなかで、何故今邦楽を義務教育にとりいれるのかという話。あたりまえの回答は日本人としての意識を推進するため、とか日本人としての文化を再認識する、とかであった。しかし個人的にそれは国粋主義とはいわないまでもナショナリズムに傾いた感じが好きではない。そのためもあった、講義していただいた佐賀大学田中健次氏曰く「コミュニケーション手段として音楽を考えると、西洋音楽という一つの道具しか持ってないよりも多様性を知ることができるよう邦楽という他手段を知る」ためではないか、に共感。音楽も感情表現という手段の一環ととらえれば、表現のための道具は多く持っているに越したことは無いと思う。そもそも義務教育は、こんな知識もありますという場との設定・出会いを演出することが限界ではないかと。・・教育論に興味はないですがね。
午後からだったので、午前中は学校にいくつもりだったが、すごい天気だったので行く気がしなくて寝ていた。そしたらあやうく寝過ごしそうになって、上記開催場に行くのに遅れそうになったよ。でも本当にすごい天気だった。大雨の警報がでて放送がかかるくらい。雷とか風とか朝っぱらからえらい天気だった。なんであんなひどい天気だったのか。その後晴れたけど蒸し暑くてそれはそれで大変であった。
さて簡単ながらうけた講座のなかで、何故今邦楽を義務教育にとりいれるのかという話。あたりまえの回答は日本人としての意識を推進するため、とか日本人としての文化を再認識する、とかであった。しかし個人的にそれは国粋主義とはいわないまでもナショナリズムに傾いた感じが好きではない。そのためもあった、講義していただいた佐賀大学田中健次氏曰く「コミュニケーション手段として音楽を考えると、西洋音楽という一つの道具しか持ってないよりも多様性を知ることができるよう邦楽という他手段を知る」ためではないか、に共感。音楽も感情表現という手段の一環ととらえれば、表現のための道具は多く持っているに越したことは無いと思う。そもそも義務教育は、こんな知識もありますという場との設定・出会いを演出することが限界ではないかと。・・教育論に興味はないですがね。
午後からだったので、午前中は学校にいくつもりだったが、すごい天気だったので行く気がしなくて寝ていた。そしたらあやうく寝過ごしそうになって、上記開催場に行くのに遅れそうになったよ。でも本当にすごい天気だった。大雨の警報がでて放送がかかるくらい。雷とか風とか朝っぱらからえらい天気だった。なんであんなひどい天気だったのか。その後晴れたけど蒸し暑くてそれはそれで大変であった。
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