ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く 読人不知
2007年3月6日 日常ひぐらしは時間を決めてなくけれど、あなたを思う私は時に関わらず涙がでるよ。という意味らしい。万葉集より。
データの整理をしていたら、学生時代に好き勝手メモしていたデータを発見。そこから見つけた歌ですが・・・現在の心境に微妙にマッチしたため引用してみました。
数日前から、時間に関わらず道路工事中。現在、0:23分現在も工事中。うるさくっていらついて仕方がありません。この時代に、夜通し作業できる工事があるとは思いませんでした。ついでに、今年に入ってから、隣地でマンション建設中のため、窓を開ければ工事中。何時でもずっとうるさいです。朝8時から工事中、そこへきて、夜通し工事中。
恋わずらいした上述の男ぢゃあるまいし、夜中くらい大人しくしてくれ、と遠まわしすぎてよくわからない苛々をぶつけてみました。
結局、自分で書いた小説が読んで一番面白いと思う、とどっかの小説家が言ってましたが、その言葉に共感しました。自分でも忘れていたような、ちょっとしたメモを発掘して読んでいたら、これが面白い!アクセス解析で、どんな日記が引っかかったのか良く読み返しているのですが、妙に面白いのです。結局自分の感性を一番理解できるのは自分という、当たり前を実感しています。
以下、発掘データから、よくわからないものやなんやかや。メモ。
「赤ん坊の世話をするのは、大変だ
それでも耐えられるのは、無限の未来への奉仕だから
同じように、赤ん坊に返ってしまった母の世話は、これを介護と称す
赤ん坊にするように、食物を準備し、よだれをふき、下の世話をする
同じなのに、なぜこんなにもつらく希望も無く未来ないイメージになるのか
もはや何かを成すだけの時間も力も持たない母への奉仕は、
なんの甲斐もなく支えも無く
いや、母は赤子に返って神のもとへ行くのだ
神の子として生まれ変わるために、彼女は赤子に返っていく。
神の子どもの世話をしているのだ。
これほどの無限への奉仕があるだろうか」
→何考えてたんだろう。何かの本の感想かもしれない。
「肉も魚も腐りかけが一番旨い。私は上海というテーマにとても惹かれる。それは1930年代、最高にまで肥大し成熟し、最高の状態まで熟れた都市。あとは一気に腐り落ちるだけ。それを体現した歴史上でもっとも見事な場所と時をもったと思うからだ。」
→確かに今も上海をモチーフにした作品がやたらと好きです。しかし、エッジングした肉にかけるはまだしも、魚はどうだろう・・・。ナンプラーとは漁醤の例えもあるし。。。
「ハヤカワセッシュウ
1950年代、ハリウッドにでた日本人」
→これはちょっとタイムリー。何かでみた時の、まさにメモと思われる。
「カロン・セギュール セギュール伯爵
「私はラフィットやラトゥールでもワインをつくっているが、私の心はカロンにある」
→これも多分メモ。バレンタインにもてはやされる、ハートマークがラベルについているワイン。結構好き。
「イグ・ノーベル賞」
→なんだそれ・・・。
「ハイディ・フライス」
→多分現代においてなお、こんなことが可能なのか、とびっくりしたメモだと思う。
「チェレスタ=天空の(イタリア語)
打楽器の鉄琴をピアノで弾いているようなもの。ハンマーアクションで鉄琴を叩き、共鳴箱で響かせる構造。」
→チャイコフスキーに凝っていたときのメモ。コンペイ糖の踊りに塚輪手いる楽器。というか、コンペイ糖の踊りにしか使われていないような楽器で、この曲が有名になったおかげで現在まで残っている楽器。チェンバロより、更に高音の音が出る。
「さんさ時雨か 萱野の雨か 音もせで来て 濡れかかる」
製作者不明 東北地方の民謡詩
→昔から都都逸が好きで、フレーズを断片的に覚えている。同じようなメモで、「水に降る雪」というのもある。
「とっぴんぱらりんのぷう」
→未だにわからない、謎の言葉。めでたしめでたしの代わりとか、ロングロングアゴーとかと一緒らしいけれども、なんともかぁいらしい響きが気になっている。ケサランパサランみたいなものかな。
「マロース」
→たしか、北風小僧の寒太郎みたいなものだったような・・・
昔はいろんなものに興味があって、ふと目にしたいい言葉や気になることをメモしていたのに、最近はそんな感性もなくなってしまった。
残念なことだ。
データの整理をしていたら、学生時代に好き勝手メモしていたデータを発見。そこから見つけた歌ですが・・・現在の心境に微妙にマッチしたため引用してみました。
数日前から、時間に関わらず道路工事中。現在、0:23分現在も工事中。うるさくっていらついて仕方がありません。この時代に、夜通し作業できる工事があるとは思いませんでした。ついでに、今年に入ってから、隣地でマンション建設中のため、窓を開ければ工事中。何時でもずっとうるさいです。朝8時から工事中、そこへきて、夜通し工事中。
恋わずらいした上述の男ぢゃあるまいし、夜中くらい大人しくしてくれ、と遠まわしすぎてよくわからない苛々をぶつけてみました。
結局、自分で書いた小説が読んで一番面白いと思う、とどっかの小説家が言ってましたが、その言葉に共感しました。自分でも忘れていたような、ちょっとしたメモを発掘して読んでいたら、これが面白い!アクセス解析で、どんな日記が引っかかったのか良く読み返しているのですが、妙に面白いのです。結局自分の感性を一番理解できるのは自分という、当たり前を実感しています。
以下、発掘データから、よくわからないものやなんやかや。メモ。
「赤ん坊の世話をするのは、大変だ
それでも耐えられるのは、無限の未来への奉仕だから
同じように、赤ん坊に返ってしまった母の世話は、これを介護と称す
赤ん坊にするように、食物を準備し、よだれをふき、下の世話をする
同じなのに、なぜこんなにもつらく希望も無く未来ないイメージになるのか
もはや何かを成すだけの時間も力も持たない母への奉仕は、
なんの甲斐もなく支えも無く
いや、母は赤子に返って神のもとへ行くのだ
神の子として生まれ変わるために、彼女は赤子に返っていく。
神の子どもの世話をしているのだ。
これほどの無限への奉仕があるだろうか」
→何考えてたんだろう。何かの本の感想かもしれない。
「肉も魚も腐りかけが一番旨い。私は上海というテーマにとても惹かれる。それは1930年代、最高にまで肥大し成熟し、最高の状態まで熟れた都市。あとは一気に腐り落ちるだけ。それを体現した歴史上でもっとも見事な場所と時をもったと思うからだ。」
→確かに今も上海をモチーフにした作品がやたらと好きです。しかし、エッジングした肉にかけるはまだしも、魚はどうだろう・・・。ナンプラーとは漁醤の例えもあるし。。。
「ハヤカワセッシュウ
1950年代、ハリウッドにでた日本人」
→これはちょっとタイムリー。何かでみた時の、まさにメモと思われる。
「カロン・セギュール セギュール伯爵
「私はラフィットやラトゥールでもワインをつくっているが、私の心はカロンにある」
→これも多分メモ。バレンタインにもてはやされる、ハートマークがラベルについているワイン。結構好き。
「イグ・ノーベル賞」
→なんだそれ・・・。
「ハイディ・フライス」
→多分現代においてなお、こんなことが可能なのか、とびっくりしたメモだと思う。
「チェレスタ=天空の(イタリア語)
打楽器の鉄琴をピアノで弾いているようなもの。ハンマーアクションで鉄琴を叩き、共鳴箱で響かせる構造。」
→チャイコフスキーに凝っていたときのメモ。コンペイ糖の踊りに塚輪手いる楽器。というか、コンペイ糖の踊りにしか使われていないような楽器で、この曲が有名になったおかげで現在まで残っている楽器。チェンバロより、更に高音の音が出る。
「さんさ時雨か 萱野の雨か 音もせで来て 濡れかかる」
製作者不明 東北地方の民謡詩
→昔から都都逸が好きで、フレーズを断片的に覚えている。同じようなメモで、「水に降る雪」というのもある。
「とっぴんぱらりんのぷう」
→未だにわからない、謎の言葉。めでたしめでたしの代わりとか、ロングロングアゴーとかと一緒らしいけれども、なんともかぁいらしい響きが気になっている。ケサランパサランみたいなものかな。
「マロース」
→たしか、北風小僧の寒太郎みたいなものだったような・・・
昔はいろんなものに興味があって、ふと目にしたいい言葉や気になることをメモしていたのに、最近はそんな感性もなくなってしまった。
残念なことだ。
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