コイ=恋・鯉 にかけてあるわけですが、妙にはまってお気に入り。
駄洒落でもないのですが、こういう掛詞が大好きです。
だから百人一首を勉強した際に、いろーんな掛詞でもって意味を織り込んでいるところが大好きでした。

こういう言葉遊びができるところが少なくなったなと思います。
手紙を書くでもなく。横文字のメールでは情緒が足りず。
でもメール好きです。
電話の方が早かったり、きちんと眼を見て話さなくてはいけないこともあったりしますが、自閉症の方がメールだと意思表示ができる、という話に味方を得て言えば、相手に読み取ってもらう点に依存している部分がメールや文章が好きです。

就職する際にどうしても捨てられなかった、勉強していたノートと教科書参考書類を数件捨てました。もっていればきっといつか勉強を再開したり、何かのネタにしたりできるのでは、とかなんとか。どうしても捨てられなくて、箱一杯分だけ4年間タンスに入れていました。
身軽になろう!と思いまして、整理し始めたら、ほとんど内容を忘れていてショックでしたが、捨てよう!と思って着手してみたら、それでも本棚に残してしまったものと、もうこれは良かったんだと思い切れたもので丁度半分半分くらいになりました。まあ執着したいものが残っていたことに安堵したり、まだ未練を絶てないふがいなさに自嘲したり。

一緒に写真を数点発見。未だに、観るだけで動悸がするくらい嫌な思いをした人が写っていました。でも一緒に大学のゼミで一緒だった人も写っていて、捨てるべきかどうすべきか考え中。
どーしたもんでしょうか。卑近(そう)な例で例えるならば、めちゃくちゃ嫌な別れ方をした恋人からもらったものとか、写っている写真とか、どうされているのでしょうか。人形供養みたいに思い切って捨てる人の方が多いのかしら。それとも、青春の汗みたいなもんよ♪と風化するまでとっておくのでしょうか。
いったん整理棚に保管。一ヵ月後に存在を忘れていたら、廃棄決定。

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