「郡上一揆」の映画を見ました。
映画としての作品性はおいといて・・・。

一揆といえば、一向一揆。あの手の動機を外にもっている暴れ便は好きではありませんが、郡上一揆は大好きです!もぅ、郡上踊りの三味線の音を聞くだけでそわそわしてしまいます♪

その点郡上一揆は、自らを助けるために、自分たちの智恵と力と命をかけるというのが、人間本来の姿としてすばらしいというか、自分には真似できないというか、やはり人は抑圧した状態から脱するためにこそ力を発揮するのだろう・・・。

公開されたときに劇場で見ていましたが、テレビで見るとあの時ほどの迫力がない。むしろ細かい脚本のネタで涙が出た。
水呑百姓だから詮議に呼ばれないのか、と号泣する駕籠訴メンバーの百姓。行こまいかっ!と方言でいわれると涙がでる。

何より、そもそも百姓たちの集まりながら、一揆が戦略的であることが驚きである。4年もの長きに渡る訴えながら、百姓達と役人側が武力衝突したのは、1回だけである。しかも、その衝突時、実は一番肝心な駕籠訴人達は村預けになっていたため、一人も参加してない。なんて映画的においしくないっ!!
また、そもそもその衝突の原因は、一揆の集まりの中で会計役をやっている人物から、軍資金を出している人物達の名簿として帳面を奪うためだった。そして、この争いにて農民に対して抜刀したことにより、役人側に不利な条件を集めている。

力というよりは、書面や書状、法律的に・・・という戦略が常にある。
この百姓達の知力のもとはいったいなんだったのだろう。
定次郎の手紙を見ても、達筆につづられている。
なんで百姓が?字を理解している、しかも高度に使いこなしている、これってどんな素地があって育つものなのだろう。育てたのはお父様だが、そもそも郡上一揆において、立百姓と寝百姓に分かれそれでも結束できる民衆的な下地がなぜ、こんな山奥でできたのか?

日本文学(?)に深い素地を持つ知人に問いただしたところ、当時は東西の交易が交わる場所であり、比較的いろんな人物が出入りしていたことから、文化人達も割と良くきて、文化的な下地を置いていったことから、上から下まで知識や文化が浸透したのでは?との解答を得ました。
なるほど。

とある郡上一揆の紹介HPにあった、どんなに貧しくとも搾取されることに飼いならされることなく、言うなれば、納税者としての権利と誇りをもった農民たちだったのではないか、云々の結論付けに納得。

郡上義民万歳!(←地元民です:笑)

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索